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【NIKE成功の秘訣とは?】NIKEが世界的に有名になった理由にはある人が深く関わっていた?


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◆この記事はこんな方におすすめ◆
・バスケが好きな方
・Nikeが有名になった理由を知りたい方
・NIKEというブランドに興味がある方

Nikeは昔から今のように人気ブランドでは無かったのは知ってるかい?

そうなの!?今や誰もが知っているブランドなのに…

ある人がいなければ今のNikeはないと言っても過言ではないんじゃ

ある人とは誰なの?

今回はそのある人とNikeの関係を話したいと思うじゃ

 

 

 

マイケル・ジョーダンとは?

一応マイケル・ジョーダンの紹介をします。

 

15年間の選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代5位。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。また、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表(ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得した。現役時代の背番号23はシカゴ・ブルズ、マイアミ・ヒート、ノースカロライナ大学の永久欠番。1996年、NBA50周年を記念したNBA50周年記念オールタイムチームの一人に選出。2009年にはバスケットボール殿堂入りした。

※Wikipedia参照

 

 

 

 

 

NIKEと契約するまで

本題に入ります。

なぜマイケル・ジョーダンがNIKEを有名にしたのか。

それは大学時代までさかのぼります。

ジョーダンは大学で当時アメリカでは1.2位を争う位人気であり当時のNBAスター選手も多く着用していたシューズブランドである、コンバースを愛用してました。

しかしジョーダンはNBA挑戦する時にはコンバースではなくもう1つの人気ブランドadidasとの契約を希望していました。

しかしadidasからはオファーは来ませんでした。そこでジョーダンの代理人はコンバースとの契約を提案しジョーダンも渋々オファーの会議に参加します。

その時コンバースがジョーダンに出した金額は10万ドル。

これは当時NBAスター選手が貰うような金額でした。

しかしこれをジョーダンはもっと特別扱いされたいという理由で断ります。

次にジョーダンがオファーの会議に参加したのはスポット・ビルトというブランドでした。

このブランドは今でいうアンダーアーマーくらいだと思ってください。

スポット・ビルトからオファーを受けたジョーダンですが断ります。

理由はアディダスと契約したかったからです。

しかし一向にアディダスから連絡は来ず代理人は当時経営不振であり当時NBAスター選手の誰一人も契約していなかったブランドNIKEに連絡をします。

ジョーダンはNIKEに興味はなくオファーの会議にすら行きたくなかったそうです。

しかしジョーダンの父がジョーダンを説得し、ジョーダンはオファー会議に行くことになりました。

NIKE創設者のフィル・ナイトが直接ジョーダンと交渉するなどNIKEはジョーダンと契約する為に必死でした。

NIKEはジョーダンに年間25万ドルの契約に加えNIKEの経営に参加出来る権利を与えるという今なら考えられないオファーを出します。

ジョーダンはadidasの好きな理由を直接NIKEの創設者フィル・ナイトに伝えますがフィル・ナイトは提案した条件通りに靴を作る約束をしました。

しかしジョーダンはまたしてもadidasと契約がしたいという理由で断ります。

ジョーダンの代理人はadidasにNIKEの契約を伝え同じ金額をadidasに求めましたがadidasはそれを断りました。

そしてジョーダンは遂に心が折れNIKEと渋々契約することになりました。

 

 

NIKEと契約してから

ジョーダンはNIKEと契約しましたがNIKEはジョーダンがもしも上手く活躍しなかった時のリスクを考え次の3つの条件を出します。

  • 新人賞受賞
  • 2年以内にオールスターに出場
  • 平均得点20得点以上

そしてジョーダンはNIKE開発のエアジョーダン1を履き試合に出ます。

しかし当時NBAでは今のようにシューズの色の自由はなく白が主流となっていました。

エアジョーダン1は赤と白でNBAはそれを派手なシューズと見なしエアジョーダン1を規則違反とします。

ジョーダンがエアジョーダン1を履く度に罰金を取り事実上の着用禁止にしようとしてました。

しかしNIKEは履く度に40万円の罰金を取られることを逆手にとり毎試合ジョーダンの代わりに50万円を支払い続けてました。

先程言いました通り当時のNIKEは経営不振だった中でも大金である50万円を払い続けました。

そしてその年にジョーダンはNIKEの期待に応え条件通りにオールスター出場と新人賞受賞を成し遂げます。

そしてNIKEはNBAからの罰金をネタにCMを作り公開した所大反響を得て、同時にジョーダンの大活躍するなどし全米から注目されるようになりました。

そして最初に仰った通りジョーダンはNBA史上最高選手となりそれと同時にNIKEもスポーツメーカーの中で群を抜いた売り上げを記録するなどし今やスポーツメーカーと言えばNIKEと言うくらいまでのブランドとなりました。

 

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※番外編 ① アディダスが契約しなかった理由

ジョーダンはadidasと契約をしたかったという話をしましたがなぜadidasはジョーダンと契約しなかったのか気になった方いると思います。

その理由たった一つの

背が低かったから

です。

今となれば え? となると思いますが当時のNBAはビッグマンであるインサイドの選手が重要視されていてジョーダンのようなガード選手と呼ばれるポジションの選手はチームを背負うことが出来ないと言われてました。

その証拠にNBAドラフトでは1位ではなく3位でした。

 

これは本当か分かりませんがもう1つの理由としてよく言われているのがadidasはヨーロッパのメーカーであるのでNBAよりもサッカーに力を入れたかったからという話もあります。

 

どちらにせよジョーダンと契約していれば今もアディダス1強であったとだけは言えます。

 

 

番外編② エアジョーダンの由来

エアジョーダン1として最初に発売されましたがなぜエアとつくのか紹介したいと思います。

簡単に言いますたジョーダンの跳躍力はまるで空を飛んでいるようだからです。

ジョーダンは当時フリースローの所から助走を付けてダンクするなど人間離れの跳躍力を持っているとしてアメリカでも有名でした。

 

 

まとめ

今回はNIKEとマイケル・ジョーダンの歴史を紹介しましたが知れば知るほどNIKEの凄さに気付きました。

創設者のフィル・ナイトさんの名言を1つ紹介したいと思います。

大胆に夢を見よう

失敗する勇気を持とう

さぁ今すぐ行動だ

この言葉はNIKEとジョーダンの歴史を知った後に聞くととても響くと思います。

NIKEは失敗を恐れずジョーダンを信じ続けました。

その結果が今に繋がっているのでしょう。